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第23図 図版19

ドキュメント内 浦添市文化財調査報告書 | 浦添市 (ページ 68-75)

第23図 図版19

寸法は、ボージャー形・甕形は、蓋が上から直径/内径/器高/体部高、身が上から口径/胴径/底径/器高の数値を記している。

家形・御殿形は、蓋が上から縁部(長辺×短辺)/器高、身が上から口縁部(長辺×短辺)/底部(長辺×短辺)/器高の計測値を記している。

第 11 表 - 2 7 号墓蔵骨器の観察一覧表

第 22 図 7 号墓 蔵骨器(1)

S=1/8

30cm

0

101 100

105 103

109

108

107

112 111

110

S=1/8

30cm 0

第 23 図 7 号墓 蔵骨器(2)

113

117

116

115 114

119

118

120

図版 19 7 号墓 蔵骨器(1) 

101

100

105

104 103

102

109

108

107

106

113

112 111

110 114

111- 上面 109- 上面

114- 判

挿図番号 図版番号

器種 残存状況

口径 器高 底径

胎土・露胎

部の色調 釉種 施釉

(範囲、方法)

観察所見

(成形・調整・施文他)

産地

年代 出土地点

121 一部欠損 . 5

(2.5)

.2

混入物無 し・白

透明釉 藍系

庇とかかりの接合部

以外を施釉。 笠外面にすすきと思

われる文様を描く。 瀬戸美濃系 墓室

122 ほぼ完形小杯 4.4 2.5 2.1

不明・灰色 瑠璃釉 透明釉

瑠璃釉は外面の口縁 部下から高台際まで。

内面は透明釉。

高台の畳付はハ字状 に傾く。外面胴部の2 箇所に丸い窪み(気 泡痕か?)

景徳鎮

17c後 墓室 単位:cm 括弧内は残存の寸法

第24図 図版21

第 24 図 7 号墓 出土遺物

第 12 表 7 号墓出土遺物の観察一覧表

図版 21 7 号墓 出土遺物 図版 20 7 号墓 蔵骨器(2) 

S=1/3 10cm

0

122 122

121

121

117

116

115 119

118

120- 正面 120- 背面

第5節 9 号墓

 墓は、調査区中央付近の丘陵下段に位置し、東隣に 8 号墓、西隣に 10 号墓が所在している。墓は、

墓室天井の崩落により内部が埋没した状態で発見された。

 墓口の寸法は、幅 0.7 m、高さは不明、羨道の長さは 0.7 mで、墓口の方位は北北東(N25°E)を向く。

羨道には拳~頭大の石灰岩や砂岩の礫石が 2、3 段積まれた状態で残存しており、これらは閉塞石の 一部と判断された。

 墓室は、平面形がやや横長の歪な隅丸方形で棚は造られておらず、類型の 1 類 a に分類できる。

寸法は幅 1.8 m、奥行き 0.9 m、残存部の高さは 1.4 mを測る。蔵骨器は奥壁側で 2 点検出されたが、

いずれも身の胴部から底部が残存していた。また、身の口縁部から胴部の破片も 1 点得られている。

第 25 図の蔵骨器配置図 No.1 は、マンガン釉甕形である。僅かに確認できる屋門の残存部は墓口を 向いている。No.2 は、ボージャー形で、底部の周りに砂岩石を据えている。このような状況から、

いずれも原位置を保持していると考えられ、戦時中またはそれ以前の埋没が推測された。

 墓庭は、墓口から外に向かってゆるやかに低くなり、庭囲いも無く明確な範囲については不明であ る。墓の造営年代についても不明と言わざるをえないが、蔵骨器の年代観からすると、近世(乾隆~

道光年間)の造墓と判断される。

図版 22 9 号墓 1段目左:墓の位置 右:墓室検出後

2段目左:閉塞石の検出状況 右:蔵骨器の安置状況

第 25 図 9 号墓 平・断面、蔵骨器配置

1 2

ボージャー(2)

マンガン(1)

破片

マド枠・屋門の向き

S=1/60

3m 0

< 墓室横断面図 >

< 平面図 >

<縦断面図>

< 蔵骨器配置図 >

EL=105.100 m

EL=105.100m

 (蓋)①つまみ ②文様等 ③調整痕他  (身)①正面示形 ②文様等 ③調整痕他

123 第26図

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